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富山市北代縄文広場の復元高床建物説明会を開催しました

4月20日(土)、富山市の北代縄文広場で復元高床建物の修理完成説明会が開催され
ました。
埋蔵文化財センターの古川所長のあいさつの後、小黒智久学芸員が高床建物の歴史的
な性格、発掘当時の状況、今回修理に至った経緯や修理方法などを丁寧に解説されま
した。
今回修理のポイントは、建物の低コスト化と長寿命化。湿気対策を重点に6分野の専
門家が復元方法を検討し、寿命は15~20年に伸びたという小黒さんの説明に参加され
た約30名の皆さんは一様に驚いて居ました。
(中本八穂)

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「楽しく山城を歩こう会」第2回を開催しました

4/14日曜日、表記のイベントを開催しました。
2回目となる今回は、城郭研究家 佐伯哲也氏の案内のもと富山市(旧大山町)にある山城、樫ノ木城跡をめぐりました。

快晴。下界は強風でしたが山に入るとほとんど無風で、気温も申し分ない絶好の条件でした。
天候も幸いしたのか、予想を上回る老若男女21名の方が参加されました。

講師である佐伯氏は、自説を織り混ぜながら城の構造や意義を解説され、皆さんは縄張図を片手に熱心に聞き入ったり質問したりしていました。立派な郭や竪堀跡はもちろんのこと、見過ごしてしまいそうなごく小さな地形の変化にも意味があることなどに関心を示されていました。
急斜面やヤブの中を進む過酷な道程も参加者の皆さんにとっては一興だった、と思います。

麓におりた後、全員で記念撮影をして解散しました。
いい汗をかき皆さんこの後昼ごはんをおいしく食べられたことと思います。

(野垣好史)

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高岡城の魅力を語る講演会

 平成24年12月15日に高岡市ふれあい福祉センターにて「高岡城の魅力を語る講演会」が開催されました。
 野原大輔会員による記録ノートを以下に紹介します。


・調査成果について 高岡市教育委員会文化財課 田上和彦氏

 高岡市教育委員会では高岡城の発掘調査、石切場関連調査、発掘調査、史料調査を相互に関連付けて総合的調査を実施中である。

本丸調査の報告
 ・本丸広場と射水神社を含めたエリアを本丸地区と呼称している。
 ・地表下70cmから礎石を検出。礎石層まで何十もの突き固めた層が存在しており、大規模な土木工事が実施されている。
 ・礎石群が出土しており、利長期の御殿と推測できる。
 ・平成24年には射水神社裏の土塁と平坦面と絵図に記載されている貫土橋周辺の発掘調査を実施した。その結果、射水神社裏からは卍刻印の石材を含む石組み遺構を確認した。貫土橋は半分足掛半分車橋と絵図に記載されているが構造は不明である。平成23年度調査でも川原石の栗石層の表面を検出したが、本年度は裁ち割を実施し約1mの厚さで堆積している。絵図に残る石垣と関連するものか?

【まとめ】高岡城の遺構は、地上、地下、両方の保存状態が良好である。


・高岡城を分析するー築城経緯・立地・構造ー 滋賀県立大学准教授 中井均氏

 縄張り・・・グランドプランが城の生命線。
 高岡城は縄張りが完存。残りの良さでいえば姫路城よりずっと上。

 ・2009年、富山考古学会のフォーラムを開催。
 ・100名城のひとつ。スタンプ帳を持っている。
 ・小竹藪に「折り」が設けられている。

◆築城経緯
 ・慶長14、1609年に築城。この時期、関ヶ原の合戦後で極度の軍事的緊張があった。その緊張状態が生み出した城ではないか。(単なる隠居城ではない!)
 ・無地に城を新しく築くことは稀。利長は以前から高岡の地に築城意図があったのでは?

  本城-金沢城、
  支城-富山城、高岡城、小松城、大聖寺城、松任城。

 ・対豊臣を意識して徳川から高岡城築城を認められた経緯があり。
 ・国境線に強力な防御施設を備えた城を作った。

◆立地
 ・高岡台地の先端に選地。「後ろ堅固の地」他三方に兵力を投入できるメリット。
 ・西の城下町と本丸側の落差に愕然とした。

 ・千保川が城下の外縁を流れ、防御と運搬の両方の役割を担った。
 ・築城期間が短いのは川によって材木を運搬したから。

 ・台地上に城郭と武家屋敷を配置。
 ・台地下に町屋と寺町を配置。
 ・北陸道を城下内で何度も折れ曲げて配置。

◆構造
 ・石垣造成には、穴太衆が関連している。前田家が早い段階から穴太一族を登用していた。富山城築城に関わる。当然、高岡城の石垣造成に関わっていたと考えられる。

 ・守りの強い西側は堀が一重、東側は二重。北側は三重の予定だった?絵図からはプランが読み取れるが計画倒れに終わった可能性あり。

 ・馬出し
 二の丸、鍛治丸、三の丸、明け丸はすべて馬出し。本丸にいくつもの馬出しがつく、というのが高岡城の縄張り。
 加納城は高岡城の構造と基本的に同じ。慶長年間によく使われる特徴的な縄張りといえる。

 ・ひとつの法則にのっとった城作り。高岡城もそのひとつ。
 ・天正13の佐々成政征伐の際に前田利家により築城された安田城や大峪城は同じような馬出しをもつ。

  本丸+角馬出し・・・聚楽第型城郭(豊臣系城郭)
  本丸+出枡形・・・加納城型城郭(徳川系城郭)

◆高岡城の謎
 ・小竹藪は「城外」と描かれるが、三の丸の馬出しとしての機能が考えられるので城外とするのはなぜか。計画倒れに終わったことが要因?

 ・大手土橋の石垣は残りが良すぎるが、ここにしか残っていないし、慶長年間とするには違和感がある。1875年に射水神社遷座の際に崩れていた石垣を積み直したものか。

高山右近縄張説
 ・右近が前田利家に仕える前に縄張りはすでに導入されていた(佐々征伐)。右近の記録は江戸時代以降にしかない。伝説か。


◆おわりに
 ・縄張りは江戸時代の姿をほぼ留めている。
 ・「古御城」の意味。なぜ廃城後も城下町が残されたのか。武家を食わすために城下町を存続。「利長の聖地」として利常は残した可能性。いつかまた城を作ることに備えて城下町を残したのではないか。

 ・元和の一国一城令
 前田家は加賀、能登、越中を有しているが、認められたのは金沢城のみ。つまり、一国一城といいながら一藩一城。なのに、「破城」されてない。普通は堀を埋め、石垣を崩すのに高岡城は残っている。建物は除去しているが、機能は残されている。
 よって前田家、加賀藩にとって高岡城は廃城ではなく実質は城として存続し続けた。なので「古御城」という呼び名だった。「古城」ではなかった。

日本海学講座「縄文時代の装身具と翡翠」 開催されました

本会副会長である藤田富士夫氏による標記の講座が開催されました。
県民会館の会場はほぼ満席の状態でした。

玦状耳飾と呼ばれている遺物は、用途が耳飾に限定されるものでなく、ペンダントや埋葬に際して額に乗せられる事例があることを示し、「玦飾」と呼ぶことを提唱されました。列島の資料の出土状態を緻密に再検証し、また中国大陸の資料も駆使した、たいへん説得的な解説でした。
また、翡翠の装身具資料の製作と流通等から、縄文時代には富山・新潟が装身具文化の中心地であったことなどを説明されました。

奥深い内容を平易な言葉で解説され、理解しやすく興味深い講座でした。

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杉谷4号墳 現地説明会レポート

 平成24年8月29日 13:30~15:00で富山大学人文学部考古学研究室の調査による杉谷古墳群の杉谷4号墳の現地説明会が開催されました。多数の会員の方を含め、約80人の参加者がありました。

 杉谷古墳群は、呉羽丘陵の南西端に立地する11基の古墳で構成しています。この古墳群には古墳時代前期に築造されたと推定される前方後方墳で全長約56mの一番塚古墳や方墳(2番塚古墳・5~11号古墳)、円墳(3番塚古墳)があります。5号墳と7号墳の間には杉谷A遺跡が所在し、弥生時代終末期の方形周溝墓17基と円形周溝墓1基が確認されています。

 今回調査がなされたのは4号古墳(以下、杉谷4号墳)は、昭和49(1974)年に富山市教育委員会が試掘調査を実施し、山陰地方に特有な弥生時代の墳墓形態である四隅突出型墳丘墓が初めて北陸地方で確認されたものです。
 杉谷4号墳は一辺約25m、高さ3mの方形状の高まりに隅部が長さ約10~12m、幅12~14mの先端がバチ状に拡がり、周溝まで含めると一辺が約47~48m大きさになります。

 今回の調査では4号墳の東側隅部の調査をし、試掘調査でも確認されていた周溝の調査がなされました。
 突出部の上面は後世の削平を受けているが、周溝は良好に遺存しています。周溝の断面形は逆台形状で突出部先端では約2.4m、深さ約0.8m、調査区西端では約5.0m、深さ約1.5mを計り、墳丘側面は幅が広くて深く、突出部先端は幅が狭く浅い構造になっています。周溝基底部から墳丘正面までの比高差は約4mあることが確認されました。突出部の形状は長さ約10.5~11.0mと大型で幅も広く、先端がバチ状に拡がります。遺物は周溝内からは約700点の土器片が出土しています。
 杉谷4号墳は突出部の形状や土器の編年観から弥生時代終末から古墳時代初頭にかけて築造されたと考えられます。

〔参考文献〕
富山大学人文学部考古学研究室 2012 『富山市杉谷4号墳 現地説明会資料』
古川知明 1999 「杉谷古墳群」『富山平野の出現期古墳』 富山考古学会

(岡田一広)


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高岡城跡の現地説明会

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高岡城の現地説明会が開催されました

8月7日に高岡城跡の現地説明会が行われました。

平成20年度から行われている高岡城跡の総合的な調査の一環で、近世城郭としての価値の向上が目的とされています。

本丸広場に設定した8か所の調査区で、方位の揃う礎石が見つかっています。前田利長居城期の「御殿」に伴う可能性が考えられるとのことです。また、この下層は約3mにわたって盛り土されていて、大規模な土木工事を行って築城したことが考えられています。
礎石の直上まで近代以降のかく乱が及んでおり、よく残っていたものだという印象を受けました。

折しも、この数日前には富山城で本丸御殿の縁側に置かれたとみられる踏み石が見つかったとの発表がありました。こちらも直上までかく乱が及んでいて、運よく残ったものです。

同じ時期に、同じ御殿の遺構が相次いで判明するという偶然でした。

ひどい暑さのなか何度も説明をされていた関係者の方々、御苦労さまでした。

プロフィール

富山考古学会

Author:富山考古学会
1949年5月20日に設立。会の目的は、おもに富山県の考古学調査と研究、考古資料をはじめとする文化財の保存と継承、そして新人の指導。学会誌『大境』と連絡紙を発行。シンポジウムなどの研究活動、遺跡整備事業などに貢献。2008年、文部科学大臣表彰を受章。2011年、日本学術会議協力学術研究団体に指定。
※写真は氷見市大境洞窟(国史跡) [氷見市立博物館蔵]

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