1918年の夏、井上江花は忙しかった。100年後にも輝く二つ大きな業績、大境洞窟の発見と、米騒動勃発の報道である。大境洞窟の発見と調査は6月末から7月中旬にかけて、8月からは米騒動の情報発信に努めた。いずれも本年に100周年記念事業が企画されている。井上江花の存在抜きでは、全国各地の考古学・人類学研究者の大境洞窟の調査、さらに国指定史跡としての保存は無かったであろう。よく知られている米騒動につては、江花が主筆だった高岡新報が富山県の情勢をいち早く全国に発信し、それまで地域的な恒例行事であった富山湾沿岸の米騒動が全国に波及する契機の一つとなった。ジャーナリズムの社会への影響が再認識されることになった。しかし、当初、高岡新報は米騒動の報道に出遅れた。7月中旬から胎動し始めた民衆の動きに、大境の調査に熱中していた紅花は気づかなかったのであろうか。その後8月に入ってからはそれまでの遅れを取り戻すかのように米騒動の記事を県内外に配信した。そのため県からの弾圧も経験することになった。
(副会長 麻柄一志)
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