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古川知明著『富山城の縄張と城下町の構造』が刊行されました

 本会幹事で、富山市埋蔵文化財センター所長である古川知明氏が表題の著書を刊行された。2004年以降に発表された論文を改稿し一書にまとめられたものである。考古学を専門とする著者が、発掘成果だけでなく、文献史学、絵図研究を総合して富山城史の解明を企図した大著である。古川氏の部下として研究を間近に見て来た者の視点から本書を紹介させていただく。
 構成は、序章となる総論と20章の各論からなる。各章の論題は次のとおり。

富山城の縄張と城下町の構造 
 
総論
 第1章 『富山之記』にみる中世富山城・城下町
 第2章 近世富山城の縄張
 第3章 慶長期富山城内郭の系譜
 第4章 富山城本丸採集の慶長期瓦
 第5章 慶長期富山城の築城と焼失
 第6章 慶長期富山城下町の構造
 第7章 近世富山城下町の構造と変遷
 第8章 富山城下町絵図の変遷と発掘調査による検証
 第9章 富山城下町における江戸期卜占の一例
 第10章 鼬川と富山城下町
 第11章 富山城の桜馬場
 第12章 富山船橋の成立
 第13章 富山船橋常夜灯
 第14章 富山城の時鐘
 第15章 『櫓御門新絵図』による富山城二ノ丸二階櫓門石垣の復元
 第16章 高岡城の築城と系譜
 第17章 高山右近高岡城縄張説の検証
 第18章 高岡城の石垣石材
 第19章 慶長期高岡城下町の復元
 第20章 考古学と歴史学でつづる近世富山城史

 中世富山城・近世富山城の縄張、各種遺構・遺物の考察、高岡城との比較など論点は多岐にわたる。いずれも発掘調査、文献研究、絵図研究の成果を駆使して論述されている。10年の間にこれだけの成果をまとめられたことに驚かされる。
 10年前は富山城の考古学的な研究は一部を除いてほとんどなかったため、古川氏にとってはゼロからのスタートだったはずである。そのきっかけとなったのは2003年から氏自身が行った富山城址公園の整備工事に伴う試掘調査だったと思う。調査はわずか数㎡の坪掘り。この調査は、採取した土壌から鍛冶遺構の残滓を一粒ずつピンセットで選り分けるような緻密さで行われていたことを記憶している。古川氏は、この調査で富山城遺構が良好に残っていることを初めて明らかにし、さらに中世富山城の位置論争を決着させた。これを皮切りに、業務では城址公園整備工事に伴う調査・普及活動を担当される一方、個人としても猛烈な勢いで研究を推進され、次々と未知の富山城に光があてられた。
 今や富山城で解説ツアーを行えば、大々的な宣伝を行わなくても毎回50~100名の参加者があるし、発掘調査成果を公表すればマスコミ・市民の関心度の高さがひしひしと感じられる。富山城の価値がこのように目に見えて高められたのは古川氏の尽力によるし、現在調査や普及活動を担当する後進の私たちは氏の研究成果に助けられるところが大きい。
 氏の研究成果は研究者だけのものではなく、確実に市民に還元されている。一般市民には難解な部分が少なくない内容だとは思うが、本書はこうした経緯のうえに書かれている点でも重要である。
 富山城では今も発掘調査が行われ、日々新しい成果が出てきている。私たちはこの成果に追従するだけでなく、批判的に検証していかなければならないと思う。そうは思うが、この重厚な内容の前にそれも簡単ではないように感じられる。
(2014年3月15日、桂書房、A5版、393頁、5000円+税)
(野垣好史)
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プロフィール

富山考古学会

Author:富山考古学会
1949年に設立。会の目的は、おもに富山県の考古学調査と研究、考古資料をはじめとする文化財の保存と継承、そして新人の指導。学会誌『大境』と連絡紙を発行。シンポジウムなどの研究活動、遺跡整備事業などに貢献。2008年、文部科学大臣表彰を受章。2011年、日本学術会議協力学術研究団体に指定。
※写真は氷見市大境洞窟(国史跡) [氷見市立博物館蔵]

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