富山県内出土品のうち考古資料の分野で国指定重要文化財となっているのは二点(二組)あります。一つが朝日町境A遺跡出土品一括で、もう一つが氷見市朝日貝塚出土のヒスイ製大珠(たいしゅ)です。読んで字のごとく、縄文時代に作られた巨大な玉です。身を飾る装飾品というより宝器的・呪術器な意味合いが強いものと考えられています。
朝日貝塚出土の大珠は、日本で最大、最高品質のものです。昭和の初年(一桁代)に朝日貝塚内の道路工事の際に発見され、湊家にもたらされて所蔵されることとなりました。当時のご当主、湊嘉平治氏が文化や歴史に深い造詣があり、また出土地の土地所有者でもあった可能性が高かったことが要因ではなかったかと思っています。
この大珠は鰹節形で、長さは16センチ、重量は470グラムという巨大なものです。中央やや上部に直径7ミリほどの貫通孔が開けられており、見事な優品というほかありません。戦後この大珠を湊家で実見調査した当時文化庁の野口義麿氏は、ひと目見るなりこれはぜひ重要文化財に指定したいと言われたそうです。
湊家所蔵のまま、氷見市立博物館がオープンしてしばらくの間は、朝日貝塚の注目される出土品として寄託展示されていました。
その頃私は恩師戸沢允則先生の勧めで朝日貝塚の紹介文(※1)を書くことになり、何か目玉になるものはないか考えていました。そこで、大珠の実測図を掲載することを思い立ちました。初代富山考古学会会長を永く務められた湊晨先生を、私は高校生の頃から存じ上げており、仲人もしてくださった経緯もあったので、おそるおそるお願いしたところ、すぐに了解を得られました。博物館で重要文化財の大珠を実際に手にし、じっくり観察して図面を作成した時の興奮はまだ覚えています。
この本に掲載されている実測図はもちろん初めて公表されたもので、湊晨先生のご配慮の賜物として忘れることができません。
(この項つづく)
※1「朝日貝塚」『探訪縄文の遺跡-東日本編-』、有斐閣選書R、昭和60年
朝日貝塚出土の大珠は、日本で最大、最高品質のものです。昭和の初年(一桁代)に朝日貝塚内の道路工事の際に発見され、湊家にもたらされて所蔵されることとなりました。当時のご当主、湊嘉平治氏が文化や歴史に深い造詣があり、また出土地の土地所有者でもあった可能性が高かったことが要因ではなかったかと思っています。
この大珠は鰹節形で、長さは16センチ、重量は470グラムという巨大なものです。中央やや上部に直径7ミリほどの貫通孔が開けられており、見事な優品というほかありません。戦後この大珠を湊家で実見調査した当時文化庁の野口義麿氏は、ひと目見るなりこれはぜひ重要文化財に指定したいと言われたそうです。
湊家所蔵のまま、氷見市立博物館がオープンしてしばらくの間は、朝日貝塚の注目される出土品として寄託展示されていました。
その頃私は恩師戸沢允則先生の勧めで朝日貝塚の紹介文(※1)を書くことになり、何か目玉になるものはないか考えていました。そこで、大珠の実測図を掲載することを思い立ちました。初代富山考古学会会長を永く務められた湊晨先生を、私は高校生の頃から存じ上げており、仲人もしてくださった経緯もあったので、おそるおそるお願いしたところ、すぐに了解を得られました。博物館で重要文化財の大珠を実際に手にし、じっくり観察して図面を作成した時の興奮はまだ覚えています。
この本に掲載されている実測図はもちろん初めて公表されたもので、湊晨先生のご配慮の賜物として忘れることができません。
(この項つづく)
※1「朝日貝塚」『探訪縄文の遺跡-東日本編-』、有斐閣選書R、昭和60年
(会長 山本正敏)
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