高岡城の魅力を語る講演会

 平成24年12月15日に高岡市ふれあい福祉センターにて「高岡城の魅力を語る講演会」が開催されました。
 野原大輔会員による記録ノートを以下に紹介します。


・調査成果について 高岡市教育委員会文化財課 田上和彦氏

 高岡市教育委員会では高岡城の発掘調査、石切場関連調査、発掘調査、史料調査を相互に関連付けて総合的調査を実施中である。

本丸調査の報告
 ・本丸広場と射水神社を含めたエリアを本丸地区と呼称している。
 ・地表下70cmから礎石を検出。礎石層まで何十もの突き固めた層が存在しており、大規模な土木工事が実施されている。
 ・礎石群が出土しており、利長期の御殿と推測できる。
 ・平成24年には射水神社裏の土塁と平坦面と絵図に記載されている貫土橋周辺の発掘調査を実施した。その結果、射水神社裏からは卍刻印の石材を含む石組み遺構を確認した。貫土橋は半分足掛半分車橋と絵図に記載されているが構造は不明である。平成23年度調査でも川原石の栗石層の表面を検出したが、本年度は裁ち割を実施し約1mの厚さで堆積している。絵図に残る石垣と関連するものか?

【まとめ】高岡城の遺構は、地上、地下、両方の保存状態が良好である。


・高岡城を分析するー築城経緯・立地・構造ー 滋賀県立大学准教授 中井均氏

 縄張り・・・グランドプランが城の生命線。
 高岡城は縄張りが完存。残りの良さでいえば姫路城よりずっと上。

 ・2009年、富山考古学会のフォーラムを開催。
 ・100名城のひとつ。スタンプ帳を持っている。
 ・小竹藪に「折り」が設けられている。

◆築城経緯
 ・慶長14、1609年に築城。この時期、関ヶ原の合戦後で極度の軍事的緊張があった。その緊張状態が生み出した城ではないか。(単なる隠居城ではない!)
 ・無地に城を新しく築くことは稀。利長は以前から高岡の地に築城意図があったのでは?

  本城-金沢城、
  支城-富山城、高岡城、小松城、大聖寺城、松任城。

 ・対豊臣を意識して徳川から高岡城築城を認められた経緯があり。
 ・国境線に強力な防御施設を備えた城を作った。

◆立地
 ・高岡台地の先端に選地。「後ろ堅固の地」他三方に兵力を投入できるメリット。
 ・西の城下町と本丸側の落差に愕然とした。

 ・千保川が城下の外縁を流れ、防御と運搬の両方の役割を担った。
 ・築城期間が短いのは川によって材木を運搬したから。

 ・台地上に城郭と武家屋敷を配置。
 ・台地下に町屋と寺町を配置。
 ・北陸道を城下内で何度も折れ曲げて配置。

◆構造
 ・石垣造成には、穴太衆が関連している。前田家が早い段階から穴太一族を登用していた。富山城築城に関わる。当然、高岡城の石垣造成に関わっていたと考えられる。

 ・守りの強い西側は堀が一重、東側は二重。北側は三重の予定だった?絵図からはプランが読み取れるが計画倒れに終わった可能性あり。

 ・馬出し
 二の丸、鍛治丸、三の丸、明け丸はすべて馬出し。本丸にいくつもの馬出しがつく、というのが高岡城の縄張り。
 加納城は高岡城の構造と基本的に同じ。慶長年間によく使われる特徴的な縄張りといえる。

 ・ひとつの法則にのっとった城作り。高岡城もそのひとつ。
 ・天正13の佐々成政征伐の際に前田利家により築城された安田城や大峪城は同じような馬出しをもつ。

  本丸+角馬出し・・・聚楽第型城郭(豊臣系城郭)
  本丸+出枡形・・・加納城型城郭(徳川系城郭)

◆高岡城の謎
 ・小竹藪は「城外」と描かれるが、三の丸の馬出しとしての機能が考えられるので城外とするのはなぜか。計画倒れに終わったことが要因?

 ・大手土橋の石垣は残りが良すぎるが、ここにしか残っていないし、慶長年間とするには違和感がある。1875年に射水神社遷座の際に崩れていた石垣を積み直したものか。

高山右近縄張説
 ・右近が前田利家に仕える前に縄張りはすでに導入されていた(佐々征伐)。右近の記録は江戸時代以降にしかない。伝説か。


◆おわりに
 ・縄張りは江戸時代の姿をほぼ留めている。
 ・「古御城」の意味。なぜ廃城後も城下町が残されたのか。武家を食わすために城下町を存続。「利長の聖地」として利常は残した可能性。いつかまた城を作ることに備えて城下町を残したのではないか。

 ・元和の一国一城令
 前田家は加賀、能登、越中を有しているが、認められたのは金沢城のみ。つまり、一国一城といいながら一藩一城。なのに、「破城」されてない。普通は堀を埋め、石垣を崩すのに高岡城は残っている。建物は除去しているが、機能は残されている。
 よって前田家、加賀藩にとって高岡城は廃城ではなく実質は城として存続し続けた。なので「古御城」という呼び名だった。「古城」ではなかった。
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プロフィール

富山考古学会

Author:富山考古学会
1949年に設立。会の目的は、おもに富山県の考古学調査と研究、考古資料をはじめとする文化財の保存と継承、そして新人の指導。学会誌『大境』と連絡紙を発行。シンポジウムなどの研究活動、遺跡整備事業などに貢献。2008年、文部科学大臣表彰を受章。2011年、日本学術会議協力学術研究団体に指定。
※写真は氷見市大境洞窟(国史跡) [氷見市立博物館蔵]

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