平成26年12月13日に富山考古学会・石川考古学研究会合同特別例会「日本海側の縄文貝塚を探る」を白山市立千代女の里俳句館で開催しました。
富山石川両県の他、山形県・関西方面など多数の方々の参加がありました。
谷内尾晋司石川考古学研究会会長あいさつの後、富山・石川・福井各県を代表する貝塚の紹介、貝塚から出土した人骨や動物遺存体から縄文人を探りました。
谷内尾晋司 石川考古学研究会会長開会あいさつ
富山県は、町田賢一氏による「小竹貝塚の考古学的成果」です。小竹貝塚は古放生津潟東岸に位置し、貝塚の時期は縄文時代前期前葉~末葉にかけてで、最盛期は前期後葉です。貝層の最大厚は約2mでヤマトシジミを主体とします。この貝層からは最小個体数91体の人骨が確認されました。これらは埋葬されたと推測され、抱石葬を含む屈葬、伸展葬、乳児骨を収めた土器棺があります。
町田氏は、太平洋側では貝層が表層に現われるが、日本海側は貝層が埋もれており表層からは確認しにくく、またおおよそ等間隔に貝塚が存在することから、現在貝塚が確認できていない場所でも貝塚が存在する可能性を提言しました。
本年3月に北陸新幹線建設に伴う発掘調査の報告書が(公財)富山県文化振興財団から刊行されました。報告書は富山大学図書館が運営する富山県遺跡リポジトリにPDF形式で公開しています。
石川県は、山川史子氏による「三引貝塚の調査成果」です。三引貝塚は、七尾市(旧田鶴浜町)に所在し、七尾西湾に近接します。貝塚の時期は、縄文時代早期末~前期初頭です。5箇所の貝層が確認され、ハイガイ、サルボウ、ヤマトシジミを主体とします。動物遺存体は、特にシカの割合が多く確認されています。また、ガン族やツル科などの冬期に渡ってくる鳥を含む、魚類、貝類から年間を通して定住していた可能性を指摘されました。
福井県は、小島秀彰氏による「北陸の貝塚から見た縄文時代―鳥浜貝塚を中心に―」 です。鳥浜貝塚は、三方湖の南側で鰣川(はすがわ)と高瀬川の合流地点に位置します。遺跡の時期は縄文時代草創期~前期を主体で、貝塚は前期にのみ形成されます。貝層は、マツカサガイ、ヤマトシジミ、ヌマガイを主体とします。
近年の成果として、自然木とされていたものがウルシノキと同定され、放射性炭素年代測定の校正年代では12,600年前で日本最古の漆製品である北海道垣ノ島B遺跡例より3,600年も遡ること、また三方五湖の1つである水月湖底からは過去7万年分の年縞堆積物から更新世から完新世にかけての花粉分析等から古気候の復元について紹介されました。
町田賢一氏
山川史子氏
小島秀彰氏
特論として、富山からは溝口優司氏による「小竹貝塚の人骨からわかること」、石川からは平口哲夫氏による「北陸の縄文時代遺跡出土動物遺体が示すもの」が発表されました。
溝口優司氏は小竹貝塚出土人骨の分析で、富山市教育委員会発掘調査人骨を含め6体の頭蓋骨が接合でき、そのうち女性である小竹貝塚1号人骨は、東北地方縄文時代中・後・晩期人女性集団に類似し、この東北地方の縄文人は北海道北黄金K13標本と類似しているとされた。こうした分析等から、東南アジアから中国大陸、北海道を経て北陸に至る北方系縄文人の移動の可能性を指摘しました。また、氷見市泊洞穴の人骨が更新世に遡る可能性や溝口氏の人類学的研究の端緒が富山考古学会創設に尽力された林夫門氏と氷見市朝日貝塚と小竹貝塚の人骨分析からである事を紹介されました。
平口哲夫氏は、貝塚周辺の地形分類と貝塚から出土する貝や動物遺存体との関連性が認められること、真脇遺跡のイルカ漁や桜町遺跡のサケ・マス漁が江戸時代の文献資料から民族考古学的に参考となることを紹介されました。また、真脇遺跡のイルカに関して、同一個体をなすものが極めて少ないことから解体場所と利用場所が違う可能性を指摘されました。
また、横幕真氏による「大谷山貝塚の再検討-貝・骨類を中心に-」が紙上発表および口頭発表で紹介されました。
これまで小松柴山潟周辺の貝塚は学史的にも埋もれて所在がわからなかった資料を掘り起こされ、小竹貝塚研究者の協力を得て今日的な分析を始められた意義は大きく、数少ない日本海側の貝塚の解明に積極的取り組まれている氏の姿勢は見習うべきと感じました。
閉会にあたり、西井龍儀富山考古学会会長があいさつしました。今回発表の溝口氏を引き合いに出され、貝塚研究が考古学だけでなく、関連した諸科学と連携してもなおまだ解明すべき点が多いことから、今回のような合同での情報交流をますます発展させる必要を強調されました。
溝口優司氏
平口哲夫氏
横幕真氏
西井龍儀富山考古学会会長閉会あいさつ
発表終了後、懇親会を実施し、来年富山での開催を確認し閉会しました。

富山石川両県の他、山形県・関西方面など多数の方々の参加がありました。
谷内尾晋司石川考古学研究会会長あいさつの後、富山・石川・福井各県を代表する貝塚の紹介、貝塚から出土した人骨や動物遺存体から縄文人を探りました。

谷内尾晋司 石川考古学研究会会長開会あいさつ
富山県は、町田賢一氏による「小竹貝塚の考古学的成果」です。小竹貝塚は古放生津潟東岸に位置し、貝塚の時期は縄文時代前期前葉~末葉にかけてで、最盛期は前期後葉です。貝層の最大厚は約2mでヤマトシジミを主体とします。この貝層からは最小個体数91体の人骨が確認されました。これらは埋葬されたと推測され、抱石葬を含む屈葬、伸展葬、乳児骨を収めた土器棺があります。
町田氏は、太平洋側では貝層が表層に現われるが、日本海側は貝層が埋もれており表層からは確認しにくく、またおおよそ等間隔に貝塚が存在することから、現在貝塚が確認できていない場所でも貝塚が存在する可能性を提言しました。
本年3月に北陸新幹線建設に伴う発掘調査の報告書が(公財)富山県文化振興財団から刊行されました。報告書は富山大学図書館が運営する富山県遺跡リポジトリにPDF形式で公開しています。
石川県は、山川史子氏による「三引貝塚の調査成果」です。三引貝塚は、七尾市(旧田鶴浜町)に所在し、七尾西湾に近接します。貝塚の時期は、縄文時代早期末~前期初頭です。5箇所の貝層が確認され、ハイガイ、サルボウ、ヤマトシジミを主体とします。動物遺存体は、特にシカの割合が多く確認されています。また、ガン族やツル科などの冬期に渡ってくる鳥を含む、魚類、貝類から年間を通して定住していた可能性を指摘されました。
福井県は、小島秀彰氏による「北陸の貝塚から見た縄文時代―鳥浜貝塚を中心に―」 です。鳥浜貝塚は、三方湖の南側で鰣川(はすがわ)と高瀬川の合流地点に位置します。遺跡の時期は縄文時代草創期~前期を主体で、貝塚は前期にのみ形成されます。貝層は、マツカサガイ、ヤマトシジミ、ヌマガイを主体とします。
近年の成果として、自然木とされていたものがウルシノキと同定され、放射性炭素年代測定の校正年代では12,600年前で日本最古の漆製品である北海道垣ノ島B遺跡例より3,600年も遡ること、また三方五湖の1つである水月湖底からは過去7万年分の年縞堆積物から更新世から完新世にかけての花粉分析等から古気候の復元について紹介されました。



特論として、富山からは溝口優司氏による「小竹貝塚の人骨からわかること」、石川からは平口哲夫氏による「北陸の縄文時代遺跡出土動物遺体が示すもの」が発表されました。
溝口優司氏は小竹貝塚出土人骨の分析で、富山市教育委員会発掘調査人骨を含め6体の頭蓋骨が接合でき、そのうち女性である小竹貝塚1号人骨は、東北地方縄文時代中・後・晩期人女性集団に類似し、この東北地方の縄文人は北海道北黄金K13標本と類似しているとされた。こうした分析等から、東南アジアから中国大陸、北海道を経て北陸に至る北方系縄文人の移動の可能性を指摘しました。また、氷見市泊洞穴の人骨が更新世に遡る可能性や溝口氏の人類学的研究の端緒が富山考古学会創設に尽力された林夫門氏と氷見市朝日貝塚と小竹貝塚の人骨分析からである事を紹介されました。
平口哲夫氏は、貝塚周辺の地形分類と貝塚から出土する貝や動物遺存体との関連性が認められること、真脇遺跡のイルカ漁や桜町遺跡のサケ・マス漁が江戸時代の文献資料から民族考古学的に参考となることを紹介されました。また、真脇遺跡のイルカに関して、同一個体をなすものが極めて少ないことから解体場所と利用場所が違う可能性を指摘されました。
また、横幕真氏による「大谷山貝塚の再検討-貝・骨類を中心に-」が紙上発表および口頭発表で紹介されました。
これまで小松柴山潟周辺の貝塚は学史的にも埋もれて所在がわからなかった資料を掘り起こされ、小竹貝塚研究者の協力を得て今日的な分析を始められた意義は大きく、数少ない日本海側の貝塚の解明に積極的取り組まれている氏の姿勢は見習うべきと感じました。
閉会にあたり、西井龍儀富山考古学会会長があいさつしました。今回発表の溝口氏を引き合いに出され、貝塚研究が考古学だけでなく、関連した諸科学と連携してもなおまだ解明すべき点が多いことから、今回のような合同での情報交流をますます発展させる必要を強調されました。




西井龍儀富山考古学会会長閉会あいさつ
発表終了後、懇親会を実施し、来年富山での開催を確認し閉会しました。


(岡田一広)
スポンサーサイト
最新コメント