昨年のこと、大学時代の同級会(大塚初重先生クラス)で、横須賀在住のN君から「来年は大境洞窟発掘百年を迎えるけど何かしないの?」と尋ねられて私は絶句。迂闊でした。恥ずかしながら全く思いもよりませんでした。
N君は岡本勇先生の弟子を自認していて、三浦半島に多く分布する弥生時代海蝕洞窟遺跡の研究をライフワークとしています。その分野の著書もあり、大境洞窟や朝日貝塚の古写真が國學院大學に柴田常恵氏旧蔵資料として保管されていることを教えたこともあります。
時代・地域を異にしても、日本で最初に調査された洞窟遺跡のことを、研究史の中できちんとその重要性を認識しているN君はさすがだなと思いました。
さて、「大境洞窟」と同時に忘れてはならないのが、同じく発掘百周年を迎える「朝日貝塚」です。大正7年(1918年)に同じ氷見市内にある両遺跡を柴田常恵氏らが発掘調査しました。その調査成果によって、大境洞窟は縄文土器が弥生土器より古いことが層位的に確認できた洞窟遺跡として、朝日貝塚は縄文時代の住居跡が明確に確認できた貝塚遺跡として、大正11年(1922年)にそれぞれの分野で日本最初の国指定史跡となりました。氷見市内二か所の遺跡が同日付をもって記念すべき史跡に指定されたのです。
ここでは富山考古学会の機関誌名にちなんで「大境洞窟」に関するリレーコラムと言いながら、私にとっては「朝日貝塚」のほうがいろいろと興味深いものがあります。そこで、同時に発掘されたよしみでお許しをいただき、朝日貝塚に関することを次回以降に掲載させてもらいたいと思っています。
N君は岡本勇先生の弟子を自認していて、三浦半島に多く分布する弥生時代海蝕洞窟遺跡の研究をライフワークとしています。その分野の著書もあり、大境洞窟や朝日貝塚の古写真が國學院大學に柴田常恵氏旧蔵資料として保管されていることを教えたこともあります。
時代・地域を異にしても、日本で最初に調査された洞窟遺跡のことを、研究史の中できちんとその重要性を認識しているN君はさすがだなと思いました。
さて、「大境洞窟」と同時に忘れてはならないのが、同じく発掘百周年を迎える「朝日貝塚」です。大正7年(1918年)に同じ氷見市内にある両遺跡を柴田常恵氏らが発掘調査しました。その調査成果によって、大境洞窟は縄文土器が弥生土器より古いことが層位的に確認できた洞窟遺跡として、朝日貝塚は縄文時代の住居跡が明確に確認できた貝塚遺跡として、大正11年(1922年)にそれぞれの分野で日本最初の国指定史跡となりました。氷見市内二か所の遺跡が同日付をもって記念すべき史跡に指定されたのです。
ここでは富山考古学会の機関誌名にちなんで「大境洞窟」に関するリレーコラムと言いながら、私にとっては「朝日貝塚」のほうがいろいろと興味深いものがあります。そこで、同時に発掘されたよしみでお許しをいただき、朝日貝塚に関することを次回以降に掲載させてもらいたいと思っています。
(会長 山本正敏)
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