富山城の鏡石がいつ置かれたのか、これまで正確にはわかりませんでしたが、鏡石の一つに、慶長期に多く刻まれた小形刻印が発見され、前田利長が富山城を築城した慶長10年頃に調達された可能性が高くなりました。
鏡石は、本丸鉄門石垣(大手筋)の通路に5石が置かれており、陰陽五行説に基づいて配置されていると考えられます。
刻印の発見された鏡石をはじめ、鏡石5石はいずれも20km以上離れた早月川産と推定され、富山県全体が加賀藩領であった慶長期に調達が可能であったこととも符合します。ただし、現在の鏡石の配置が慶長期はどうであったかは、まだ解明できていません。 (古川知明)
鏡石は、本丸鉄門石垣(大手筋)の通路に5石が置かれており、陰陽五行説に基づいて配置されていると考えられます。
刻印の発見された鏡石をはじめ、鏡石5石はいずれも20km以上離れた早月川産と推定され、富山県全体が加賀藩領であった慶長期に調達が可能であったこととも符合します。ただし、現在の鏡石の配置が慶長期はどうであったかは、まだ解明できていません。 (古川知明)
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